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美術手帳 バックミンスター・フラー特集
バックミンスター・フラーすべてを語る」前半まとめ vol.1



現在、おさらいも兼ねて美術手帳のフラー特集記事のインタビューを読んでいる。全15回、各10ページの特集。 原文はArchitectural Design誌1972年12月号に掲載されたマイケル・ベネリによるインタビュー。

送ってくれた佐藤君、本当にどうもありがとう!

第7回まである程度読み進めたので、フラーが取っているスタンンスの基本事項を確認する意味でも、一度まとめた記事を書いておきたい。

本当は1回で簡単にまとめるつもりだったのだが、書いていくうちに長くなったので、取りあえず今まで書いたところをアップしてみる。長くなりすぎて、自分が何言ってるのか良く分からなくなってきた。(特に前半部分)今度から、書いたものを、簡潔にまとめてもう一度、流れを検討した上でアップした方が良いかも....長過ぎるのは読む側にも優しくないし。取りあえず今日は非常に眠いのでコレで勘弁...そのうち読みやすいように修正するかもしれません。

フラーの言説はいつも抽象的で、自分のプロジェクトを詳細に語ることは少ない。まさに「Think Globaly,act localy」の人である。また、その思想は非常にストレートなメッセージ性を含んでいる上に、その内容は現在のサスティナブルを巡る思想の概要に非常に近く、素直に読むだけではなかなかフラーの特殊性が見えてこない。そのため、フラーの言説は彼の作品やプロジェクト、あるいは歴史的、政治的コンテクストと常に比較して読む必要がある。


1.フラー的人間像

フラーは自然(宇宙)が環境に与える不可逆的な影響、エネルギーの無秩序な拡散(エントロピーの増大)に対して、生物の環境調整機能による環境の改善、増殖する秩序を「シントロピー」と名付け、対置させる。
その中で人間は「基本的な環境の変化に適切に意識的に関与することが出来る」存在として、原理を発見し秩序を生み出すシントロピックな知性ある監視役としての役割を与えられる。

この立ち位置はそれ以前の近代建築家や60年代にフラーと同じように有機的な構造からヒントを得たデザインを指向した日本のメタボリズムとは明らかに異なっている。

近代建築はそれまでの歴史主義的な建築の否定、コルビュジエの「住むための機械」に代表される機械のメタファーと技術を用い、それまでの歴史からの切断と新たな時代の「構築」を指向した。

それに対して、フラーは宇宙という一つの大きなシステムを崩壊と構築のサイクルとして捉え、その間にそれらを意識化し秩序を生み出すという人間を挟み込む世界観を掲示している。秩序を自ら構築するという点は非常に近代的な思想だと思うのだが、問題は、そこに「切断」はなく、宇宙に対する「関与」という非常に緩やかな関係を示す言葉で表現されていることである。

一方で、1960年代に活躍したメタボリズムの建築家達は、近代建築の機械的イメージの硬直性を指摘し、都市の急速な膨張と更新に対応する構造の必要性を訴えた。そこで、提出された解答は、古くなった細胞が新しい細胞と入れ替わるように更新されるユニットとそれを構造的機能的に支える巨大な構造物の複合体であった。この有機的都市イメージはその是非はともかくとして、建築が短いサイクルで更新され続けている東京を代表とする日本の都市のイメージとして、なお有効だと思う。

しかし、そこには都市が自律的な一つの系をなすと言う、ある意味でなお「近代的」な都市像がその背景にあった。メタボリズム建築のシステマティックな構成や動的なドローイングが、静的な近代建築のイメージを形成する以前の近代建築、未来派表現主義に類似した点をもっていることは恐らく偶然ではないだろう。また、有機的な要素の引用にしてみても、固定的な近代的な建築に如何に変化の要素を組み込むかということが主題にされており、技術的、原理的な部分まで追求されることはなかった。メタボリズム建築の代表作である「中銀カプセルタワービル」にしても、その形状やシステムは更新を前提にはしているものの、実際に各ユニットが交換されることはなかった。

それに対して、フラーが自然や宇宙にもとめたものは、そういった都市のイメージのような抽象的なものではなく、それらが持つ原理であり、建築や都市はその原理をうまく活用し自然と共存出来るかと言う点が強調される。だから、フラーの生み出した概念や発明品、技術には、自然や有機物の原理が応用されている一方で、それを現在の人類の技術で実現可能な「機械」としての側面を持っており、メタボリズムとは逆の意味での「自然」と「機械」二面性がある。


2.フラーの「成長」の概念

面白いのは、フラーの言うサスティナビリティーは、省エネや成長の限界といった限定された成長や禁欲的な概念に結びつかない点だと思う。確かに、フラーのドームは限定された空間を囲う固定的なものだったし、「宇宙船地球号」という言葉を生み出したのもフラーではあったのだが、一方で、フラーは自然の原理をうまく応用出来れば人口爆発のような急激な変化と成長にも対応可能であるとした。際限ない成長のイメージは先ほどのメタボリスト達と近い概念になるかも知れない。

しかし、注意すべきなのはメタボリスト達が使う(あるいは僕たちが普通の意味で使う)「成長」と言う言葉のニュアンスが若干異なっていることである。フラーは物質的な宇宙の中での不可視領域の重要性を説いている。球形ドームや地球の」ような閉ざされた空間内での「成長」とはつまるところこの「不可視領域」でのエネルギーのような現象的な側面であると考えた方が自然に思える。


閉ざされた物理空間内での爆発的な成長。その先には「過密」がある….ような気もする。