Munchen

正月の旅行記。まずはミュンヘン
深夜に到着したので次の朝から行動開始。早速Herzog & De MeuronのHunf Fofeを見に行く。
それにしても日本人にとっては発音しにくい名前。スペイン人にとっても難しいらしい。五つの中庭という意味のドイツ語。フンフゥ!フォッフェ!




街区に残る既存を可能な限り残したまま、街区の内部にパサージュを通す設計。こういうリノベーションは、ファサード、エントランス、階段といった行為空間同志の間の「間」をフェティッシュにデザインしていくH&deMの最も得意としているタイポロジィ。主要な空間といえるべき場所がいつも素っ気ないのがこの人達のデザインなのだけれど、だからこそ世界中で勝つことが出来るのだ。KoolhaasといいH&deMといいあるいはsanaaといい、原広司の言ういわゆる「均質空間」に対していかに応答するかという確固たる戦略を持っていなくては、ここまでの世界展開は出来ない。

天井からぶら下がった電球が周囲のガラス壁に映って、無限に反復されて見えるようなガラスの反射性と透明性に対するすごく繊細な感覚。ただ透明なのではなく,光を透過すると同時に反射する、物質と反物質を横断するその両義性がガラスという物質の特性なのだ。ガラスの光に対する性質を把握する力はさすがアルプス以北の建築家といった感じ。ここでは窓は「開口」ではなく「ガラス」という物質なのだ。スペインでも日本でもこういうガラスに対する繊細な感覚が発揮された建築はない。ジャンヌーベルのカルティエ財団ビルの木々がガラスに反射して幽霊のような森が都市の中に出現する感覚に似ているけれど、もっとイリュージョナルなかんじ。クリスマスのイルミネーッションっぽい?コレはコレで購買意欲を刺激されるかも。

開口部やガラス周りのディティールが異常に美しい。コレはHunf Fofeだけでなくミュンヘンの街の建築全体に言える。こういうところが美しいのはさすが工業国といった感じ。しかし、このディティールの細さと美しさがなければ、電球がガラスに反射しながら頭上を覆っていくようなイリュージョンは表現できないだろう。スペインでこの建築は作れないなぁ。。。


Hunf fofe付属のミュージアムでディズニー展をやっていたので見る。
Fantasiaからピノキオ、白雪姫、ダンボといった初期の長編アニメーションを中心にした展示。セル画や原画と一緒にその作品の世界観や映像手法に影響を与えた絵画や実写映画の映像が交互に並んでいくという展示。ピラネージとファンタジアの階段、ブリューゲルと白雪姫の小人の家が並んでいてとても面白い。

今改めてみると20年代から50年代のディズニーアニメは、凄く新鮮に感じる。
ダンボの悪夢のシーンなんかは子供向け映画とは思えない表現。シュールレアリスムのような連想的なシーンが連続して奇妙な世界観を作りだしている。ダリが戦後すぐにディズニーに近づいて合作の計画を持ち出していたなんてエピソードもうなずける。

最近のアニメは内容も表現も実写にどんどん接近してきていて、それはそれで凄いことなんだろうけれど、こういうシンプルだけど実写には絶対にまねできないような表現に出会うとドキッとさせられる。というか、アニメーションというよう表現自体がエンターテイメント的なある種の「分かり易さ」とそうではない「なんだかよく分からないもの」を両立させる可能性を持っていたといえるのかも知れない


オマケの写真。マドリッド・バラハス空港ターミナル4。他のターミナルは正直「終わっている」のだが、ここは最近出来た美しいターミナル。Richard Rogersの設計。今回ミュンヘンに行くときに初めて利用した。シェンゲン協定内移動専用のターミナルのようだ。
タツムリの角の様な鉄骨構造体が黄色から青へ徐々に色が変わりながら暗闇にスゥと消えていくように見えるのは何とも美しいですな。


ポンピドゥーやロイズで設備や動線系を構造体の外に持ってきて「ハイテク表現主義」のスタイルを確立したRogersだが、その語法はそのままにここでは逆に巨大な屋根が全てを覆う構成となっている。
この構成自体はより現代的な(フラー的な?)アプローチに近づいたといえるのかも知れない。
設備系を自律的に配置しているので自由度の高いプランニングが実現されていて、構造や配管の間を縫って移動していくのは空間体験としても面白い。
照明は間接照明。レフ板(?)にライトを当てて空間全体が均質に明るくなるようにしている。