中谷礼仁 「セベラルネス」より 建築職人ウィトルウィウス

「気が向いたら」と書いたので一年ぶり(?)にブログを書いてみる。

最近 技術における「時間」と都市における「時間」の間に流れる隔たりが気になっている。

都市や建築において「時間」を取り入れたデザインの試みは多く行われてきたが、そのほとんどは失敗に終わっている。
例えば、メタボリズム。そのprojectのほとんどが実現されていないばかりか、完成しても一度も「更新」されることなくその生を終えている。
一方で、イタリア旅行で訪れた都市マテーラは1万年以上前から使われていた洞窟住居の上に石を積み、更にその上に現代の町並みが積層することで都市が形成されていた。

中谷礼仁は「セベラルネス」の中で、アテネアクロポリスの石柱や巨大な構造で支えられたメタボリズム建築を「強い技術」、小さな破片の集合体であるローマ建築や100年以上も改築されながら使われ続けている長屋住居を「弱い技術」と呼んだ。前者がイメージとしての強さを有し、その完結性故に時間の流れや技術革新に対応できないのに対し、後者はその弱さ故の冗長性と何所でも誰でも建設できるという普遍性から時を超えた建築となり得たと主張した。

では現代における「弱い技術」とは何だろうか?
サスティナブル建築において、建築が人を包むシェルターとして高い性能を有することは必然だと言える。
従って、すきま風の吹き込むバラックや光の届かない洞窟住居を求めても、それはノスタルジックな憧れに過ぎないのではないか。

                    (つづく)
                     眠くなったのでもう寝ますzzz