nationalism,criticism

昨年末、北田暁大の「嗤う日本の『ナショナリズム』」と東浩紀「批評の精神分析」を読む。

「ナショ」のほうは最近流行の社会学系の本の中では格段に読みやすい。扱っている内容もテレビや小説、CM、2ちゃんねるといった時代を代表するメディアが中心で共感して読める本。簡単に要約すると、60年代から続く日本の前に対する時代の反省と差異化の連鎖と歴史が現代の2ちゃんねるに見られるような「シニカルな態度をとりつつベタな感動を希求する」独特の空気を生んだ。ということらしい。年代順に非常に整理されて分かりやすく、実感としても頷ける点が多かったので素直に読んだのだけれど直後に読んだ「精神分析」で東さんがまさにその社会学が持っている受容のしやすさ、安易な流行をかなり痛烈に批判する発言をしている。(僕もその流行に乗って消費している一人なのだけれど…)「精神分析」は2000年代における東さんの対談集なのだが、特に2005年以降、東さんは一貫してそうしたメタレベルの言説やリベラリズムに対しての批判を繰り返している。

社会学の手法は自らをメタの次元に押し上げた上で歴史の流れを相対化して語る。東さんの懸念はその相対化のプロセスに向けられている。そう考えてみると「ナショ」はスノッブし続ける日本の文化を相対化した視線で眺めることでその形式化の手順を(意識的ではないにしろ)繰り返しただけの本だということなってしまい、何だかやるせない。

いずれにしても、建築設計という分野ではいくら言葉であれこれ言っていても、最後はモノのレベル、ベタのレベルに降りて勝負しなければならない。厳しい道だけどだからこそ面白いのだ。

それにしても2005年以降の東さんの発言は熱い。
社会学だけでなく人文系論者への批判から、「東京から考える」に出てきたような工学的な社会像、都市像の話。そして、こうしたドライで工学的な人間把握に可能性を見いだすところまで、熱い口調で語られていてついつい引き込まれてしまう。東さんの著作の位置づけが本人の言葉で語られていて、「なるほど、「動ポス2」の主張はこういうことだったか…」と今更ながら教えられる。

去年公開講評会に来ていただいた時のことを思い出す。
あの時は僕達の説明不足やら色々あり本当に申し訳なかったのだが、東さんに来ていただいて会場は大いに盛り上がったのは間違いない。懇親会でも二次会でもとにかく喋りまくっていて僕達はついていけずただ圧倒されていた。
「メタ思考から降りよ」というメッセージはそんなパワフルな東さんらしい主張かも知れない。
今、どのようなシステムが必要かという困難な課題に立ち向かう東さんの姿勢には、建築という課題にとり組もうとしている僕も勇気づけられる。